16世紀末にイタリアで発生したバロック建築は、30年戦争(1618-48)の影響もあり、ドイツに導入されたのは17世紀末になってからでした。南ドイツはカトリックが支配的でしたから、人々はすぐさま共鳴しました。もっとも、最初にバロック建築を建てたのは、イタリア人の建築家たちだったようです。
(ツワインガー宮殿、ドレスデン)
18世紀の初め頃には、ドイツ人の建築家たちが活躍し始め、ドレスデンにドイツ・バロックを代表する作品が建てられました。一つは、ダニエル・ペッペルマンが設計した、ツウィンガー宮殿です。祝祭用の大中庭を囲い込む建物群で、彫刻装飾が目を引きます。中でも1階階段室のスタッコ彫刻は、イタリアのバロック建築と比べても、引けを取らないと言われています。もう一つは、ゲオルク・ベールの設計したフラウエンキルヘです。ドームまで砂岩で作られた、とても珍しいプロテスタントの教会堂で、残念ながら第二次大戦で戦火に遭いました。戦後も東西ドイツの長い苦難を経て、近年ようやく修復が完了し、一般に公開されています。
(フラウエンキルヘ、ドレスデン)
円形平面の上に立体的に建てられたフラウエンキルヘは、教会というよりも劇場のようなつくりです。方形平面の三方に入り口を、一方にアプスをおき、そこに祭壇とパイプオルガンがあります。他に類を見ないほど客席を立体的に配置し、四隅には合唱席に上がる階段室が設けられています。大部分が修復されているので、どの程度までがオリジナルであるかよく分かりませんが、階段席を支える美しい柱や半ドームなど、全ての要素が一体となって頂部のドームを支えています。これら全てがやわらかい砂岩で出来ているというのも、驚きです。第二次大戦で破壊されたことが、本当に惜しまれる教会です。
ドイツ南部のバイエルン地方には、やはりドイツのバロック建築、とりわけロココ装飾で知られる修道院聖堂が数多く残っています。18世紀にフランスではじまったロココ装飾(木材、スタッコを材料とした建築内装装飾)は、またたく間にドイツにも導入されました。フランスのロココ装飾は木製で、線的な装飾が主だったのに比べ、ドイツでは主にスタッコで作られ、肉厚で彫塑的な装飾に発展しました。これは石材に乏しいドイツでは古くからスタッコ細工があったためと言われ、南ヴァイエルンのヴェッソブルンのように、村人の大半がスタッコ細工職人という集落まで現れました。このためドイツで活躍したバロック建築家の多くは、スタッコ細工職人と共同で仕事を受けることが多くなり、後にスタッコ装飾の名手と言われるヨハン・ミヒャエル・ファイヒトマイヤーのような職人も現れました。
(オットーボイレン修道院聖堂、シュヴァーベン地方)
ドイツ・バロック建築を代表する建築家ヨハン・ミヒャエル・フィッシャーがファイヒトマイヤーと協力して建てたのが、ドイツ南西部にあるオットーボイレン修道院聖堂です、身廊部分、交差部分および内陣部分のすべてにスタッコによる曲面ヴォールト天井をかけ、天井画と壁面の彫刻がダイナミックに融合しています。このように、高度なスタッコ技術を駆使して、建築の構造的な部分を視界から消し去り、天井画と彫刻との融合によって、一体的な空間を生み出している点が、ドイツのロココ建築の特徴でしょう。オットーボイレン修道院聖堂は、訪れてみると意外に大きく、巨大な空間に圧倒されました。スタッコ装飾は、よく目を凝らしてスタッコのひび割れ部分を探さないと、スタッコで作られていることが分からないほど良くできています。特に、色大理石の円柱などはまるで本物の大理石柱のようです。
(ツヴィーファルテン修道院聖堂)
同じくツヴィーファルテン修道院聖堂も、建築家フィッシャーの代表作で、スタッコ装飾の名手ファイヒトマイヤーとの共同して建てられました。身廊部分の両側に高くヴォールトを切り、そこに小さなギャラリーを作り、その窓から自然光を取り込んでいます。そのため内部全体が垂直的で明るい空間になっています。波打つようなファイヒトマイヤーのスタッコは、柱と天井の隙間をなめらかに溶かし、全体に躍動感のある力強い形態を作り上げています。オットーボイレン修道院聖堂に比べるとやや規模は小さいのですが、全体の完成度はむしろこちらの聖堂の方が高いのではないでしょうか。
筆者のように、大規模な古代建築を研究対象とする者からすると、ロココ建築というのは何か表面的で小手先の印象がありました。しかし、ツヴィーファルテン修道院聖堂のように構造と内部装飾が一体となり、構造体と装飾部の見分けがつかないほど技術が発達すると、まったく異なる建築表現が可能になることを思い知らされました。イタリアのルネサンス建築に始まったヨーロッパの建築活動は、この後過去の様式を繰り返すリヴァイヴァルの時代に突入していきます。その意味で、バロック・ロココ建築は、ヨーロッパが最後に生み出した様式建築でした。技術が高度に発達した現在では、石造の構造体の表面に立体的なスタッコで装飾するなど容易に違いありませんが、当時は、この建築様式の完成に長い時間を要したのです。手仕事による伝統技術が衰退しつつある現在、同じようなバロック・ロココ建築を仮に複製したとしても、ツヴィーファルテン修道院聖堂のような、独創的な建築物を建てられるかと言われれば、かなり疑わしいと思うのは筆者だけではないでしょう。
(ツワインガー宮殿、ドレスデン)
18世紀の初め頃には、ドイツ人の建築家たちが活躍し始め、ドレスデンにドイツ・バロックを代表する作品が建てられました。一つは、ダニエル・ペッペルマンが設計した、ツウィンガー宮殿です。祝祭用の大中庭を囲い込む建物群で、彫刻装飾が目を引きます。中でも1階階段室のスタッコ彫刻は、イタリアのバロック建築と比べても、引けを取らないと言われています。もう一つは、ゲオルク・ベールの設計したフラウエンキルヘです。ドームまで砂岩で作られた、とても珍しいプロテスタントの教会堂で、残念ながら第二次大戦で戦火に遭いました。戦後も東西ドイツの長い苦難を経て、近年ようやく修復が完了し、一般に公開されています。
(フラウエンキルヘ、ドレスデン)
円形平面の上に立体的に建てられたフラウエンキルヘは、教会というよりも劇場のようなつくりです。方形平面の三方に入り口を、一方にアプスをおき、そこに祭壇とパイプオルガンがあります。他に類を見ないほど客席を立体的に配置し、四隅には合唱席に上がる階段室が設けられています。大部分が修復されているので、どの程度までがオリジナルであるかよく分かりませんが、階段席を支える美しい柱や半ドームなど、全ての要素が一体となって頂部のドームを支えています。これら全てがやわらかい砂岩で出来ているというのも、驚きです。第二次大戦で破壊されたことが、本当に惜しまれる教会です。
ドイツ南部のバイエルン地方には、やはりドイツのバロック建築、とりわけロココ装飾で知られる修道院聖堂が数多く残っています。18世紀にフランスではじまったロココ装飾(木材、スタッコを材料とした建築内装装飾)は、またたく間にドイツにも導入されました。フランスのロココ装飾は木製で、線的な装飾が主だったのに比べ、ドイツでは主にスタッコで作られ、肉厚で彫塑的な装飾に発展しました。これは石材に乏しいドイツでは古くからスタッコ細工があったためと言われ、南ヴァイエルンのヴェッソブルンのように、村人の大半がスタッコ細工職人という集落まで現れました。このためドイツで活躍したバロック建築家の多くは、スタッコ細工職人と共同で仕事を受けることが多くなり、後にスタッコ装飾の名手と言われるヨハン・ミヒャエル・ファイヒトマイヤーのような職人も現れました。
(オットーボイレン修道院聖堂、シュヴァーベン地方)
ドイツ・バロック建築を代表する建築家ヨハン・ミヒャエル・フィッシャーがファイヒトマイヤーと協力して建てたのが、ドイツ南西部にあるオットーボイレン修道院聖堂です、身廊部分、交差部分および内陣部分のすべてにスタッコによる曲面ヴォールト天井をかけ、天井画と壁面の彫刻がダイナミックに融合しています。このように、高度なスタッコ技術を駆使して、建築の構造的な部分を視界から消し去り、天井画と彫刻との融合によって、一体的な空間を生み出している点が、ドイツのロココ建築の特徴でしょう。オットーボイレン修道院聖堂は、訪れてみると意外に大きく、巨大な空間に圧倒されました。スタッコ装飾は、よく目を凝らしてスタッコのひび割れ部分を探さないと、スタッコで作られていることが分からないほど良くできています。特に、色大理石の円柱などはまるで本物の大理石柱のようです。
(ツヴィーファルテン修道院聖堂)
同じくツヴィーファルテン修道院聖堂も、建築家フィッシャーの代表作で、スタッコ装飾の名手ファイヒトマイヤーとの共同して建てられました。身廊部分の両側に高くヴォールトを切り、そこに小さなギャラリーを作り、その窓から自然光を取り込んでいます。そのため内部全体が垂直的で明るい空間になっています。波打つようなファイヒトマイヤーのスタッコは、柱と天井の隙間をなめらかに溶かし、全体に躍動感のある力強い形態を作り上げています。オットーボイレン修道院聖堂に比べるとやや規模は小さいのですが、全体の完成度はむしろこちらの聖堂の方が高いのではないでしょうか。
筆者のように、大規模な古代建築を研究対象とする者からすると、ロココ建築というのは何か表面的で小手先の印象がありました。しかし、ツヴィーファルテン修道院聖堂のように構造と内部装飾が一体となり、構造体と装飾部の見分けがつかないほど技術が発達すると、まったく異なる建築表現が可能になることを思い知らされました。イタリアのルネサンス建築に始まったヨーロッパの建築活動は、この後過去の様式を繰り返すリヴァイヴァルの時代に突入していきます。その意味で、バロック・ロココ建築は、ヨーロッパが最後に生み出した様式建築でした。技術が高度に発達した現在では、石造の構造体の表面に立体的なスタッコで装飾するなど容易に違いありませんが、当時は、この建築様式の完成に長い時間を要したのです。手仕事による伝統技術が衰退しつつある現在、同じようなバロック・ロココ建築を仮に複製したとしても、ツヴィーファルテン修道院聖堂のような、独創的な建築物を建てられるかと言われれば、かなり疑わしいと思うのは筆者だけではないでしょう。