2012年7月2日月曜日

ミュンヘン国立歌劇場


ミュンヘン国立歌劇場(Nationaltheater München)は、マックス・ヨセフ広場に立つ歌劇場である。国立歌劇場と言っても、バイエルン州によって運営されている州立歌劇場で、バイエルン州立オペラの本拠地でもある。ミュンヘンには、もともとザルバトール広場に1657年に建てられたレジデンツ歌劇場があり、その中庭でオペラが上演されていたらしい。しかし1795年にはそこも閉鎖となった。最後のバイエルン選帝候で、後に初代バイエルン王となったマクシィミリアム一世のもと、1810年に建築家カール・フォン・フィッシャーの手による新たな「国立歌劇場」が計画された。フォン・フィッシャーは、19世紀初頭にミュンヘンで活躍した建築家で、ウィーンで建築家フェルディナンド・フォン・ホーフェンベェルグと、劇場建築の専門家であったヨセフ・プラッツァーに学んだ後、1803年に設計した初期新古典主義のプリンツ・カール宮殿(Prinz-Carl-Palais)によって認められ、ミュンヘン芸術アカデミーの教授となった人物である。国立歌劇場だけでなく、ミュンヘンの都市開発も手がけ、王の広場を含むブリエナー通りを計画したことで知られる。

ミュンヘン国立歌劇場、正面 1825年ごろ

さて、フィッシャーの設計したミュンヘン国立歌劇場は1818年に完成したが、わずか5年後には火事で焼失した。現在の国立歌劇場は、じつは後継者であるレオ・フォン・クレンツェによる設計(1825年?)である。クレンツェは、先にも挙げたフィッシャーの「王の広場」に、アルテ・ピナコテーク(Alte Pinakothek)やプロピレーエン(Prolyläen)を建てただけでなく、海外でも活躍し、独立したギリシアではオルソン一世に招かれてアテネの都市計画やアクロポリスの調査に手を染め、またロシアではニコライ一世に招かれてサンクトペテルブルグの新エルミタージュ美術館を設計した。ミュンヘン国立歌劇場は、高いポデュウムの上に大きなポーチと破風を正面に置く神殿風のファサードが二重に配置され、シンケルが設計したベルリン王立歌劇場(1818-1821年)と彷彿とさせる。もっともベルリン王立歌劇場に比べると、ミュンヘン国立歌劇場はやや規模が小さい。その後、ステージや客席の改修を経ながら、第二次大戦中に爆撃を受けるまで使用されていた。戦後の改修によって再び現在の姿に復元され、1963年にワーグナーの「ニュルンベルクのマイスタージンガー」で再スタートを切った。

ミュンヘン国立歌劇場、内観

現在内部は5階建て(日本で言う6階立て)の客席を持ち、舞台袖にはコリント式の大オーダーで支えられた特別席がある。また舞台の正反対の客席にも、アテネのエレクテイオンのカリアティッド(人物柱)を模った巨大な柱で支えられた特別席がある。(残念ながら、こちらは写真なし。)このあたりに18世紀末からギリシア趣味に傾いたドイツの新古典主義建築の傾向が現れている。2000席ほどの客席は、意外にもあまり広さを感じない。むしろ舞台と客席との距離の近さが印象的である。

訪問当日はモーツァルトのコジ・ファン・トゥッテが上演された。舞台セットはやや現代風ながら、イタリア語による上演(ドイツ語字幕付き)で、オペラ初心者には分かりやすい演出だった。詳しくはまた別の機会に。