2012年5月27日日曜日

三葉形平面の初期ロマネスク聖堂

 ケルンと言えばゴシック様式の大聖堂が有名だが、じつは多くのロマネスクの聖堂が残っている。筆者が知る限り、十二ものロマネスク聖堂があり、これほどの多くのロマネスク聖堂がある町は、おそらくケルンをおいて他にないだろう。ケルンはローマ時代から発展した古い町で、ライン川中流域にあるシュパイヤー、ウォルムス、マインツなどの大聖堂が建てられたのとほぼ同じ頃、比較的規模の大きいロマネスクの聖堂が次々と建てられた。ここでは初期ロマネスクのザンクト・パンタレイオン聖堂と、三葉形平面の内陣を持つ三つの聖堂を取り上げ、このケルンのロマネスク聖堂を概観してみよう。


ザンクト・パンタレイオン聖堂 (Sankt Pantaleon, Köln)
この聖堂は、ケルン市南西の緑の多い公園の奥手に建っている。ブルノ大司教により再建された建物で、外陣と内陣は984~990年に完成、西正面も980~1005年ごろに完成した。西正面は、中央の大きな方形の塔と、左右の階段塔で構成される点が特徴で、残念ながら、中央の方形の塔は19世紀の再建、階段塔も軒蛇腹から上が再建である。しかし、西正面に三つの大きな塔を建てるというコンセプトの壮大さは、現在の再建された建物から充分に伝わってくる。
三つのトリビューンに囲まれた玄関広間は、アーチで側廊と東正面に繋がっており、きわめて簡素で開放的である。この簡潔な構成は、そのまま外観にも現れており、壁面に施された彫りの浅い窓、軒蛇腹、盲アーチ、付け柱などの要素は、躯体の量感を妨げない程度に注意深く整然と作られている。簡素ながらも美しい形式を備えたこの初期プレロマネスクの作品は、古代的なプロポーション感覚が維持されており、同時に、大きな階段塔を持つ西正面の壮大なコンセプトは、ロマネスク大聖堂の多塔形式に影響を与えたと思われる。

ザンクト・パンタレイオン聖堂 西正面 (980~1005年ごろ)

ザンクト・マリア・イム・カピトール聖堂 (Sankt Maria im Kapitol, Köln)
 「カピトールの丘」に建つという魅力的な名前を持つ、ザンクト・マリア・イム・カピトール大聖堂は、旧市街地の南端、トラムのHeumarkt駅から歩いてすぐの場所にある。この大聖堂は、おそらくケルンでは最初の三葉形の内陣(Dreikonchenchor)を持つロマネスク聖堂で、長さ100mある建物の半分が三葉形の内陣である。

ザンクト・マリア・イム・カピトール聖堂、東内陣 (1040~1065年ごろ)
 アプスとほぼ同じ直径をもつ半円形の袖廊は、外観からもすぐ分かるほど突出している。半円形平面のアプスとアプスの間を埋めるために、矩形の低い塔が建てられているが、どうやらこの部分は増築のようである。内部は、中央の交差ヴォールトを支えるピアによって、内陣が分節されている。三葉形の外壁に沿って紅白縞模様のアーチと円柱でできたアーケイドがぐるりと巡らしてあり、その背後には聖人の彫刻が並べられている。
 三葉形平面の内陣の出自は定かでないが、ロンバルティア地方から移入されたもので、ミラノのサン・ロレンツォ(四世紀末)が原型と言われる。三葉形平面の建物は、ローマ時代の浴場や泉水場から見られ、とくに3世紀後期から4世紀にかけては、西地中海の諸都市でヴィッラ(別荘)などに広く使われたことが知られているが、ロマネスク時代の教会堂内陣とは、直接には関係ないだろう。


ザンクト・マリア・イム・カピトール聖堂の平面

ザンクト・アポステルン聖堂 (Sankt Aposteln, Köln) 
 ザンクト・アポステルン聖堂は、旧市街地西部のNeumarktの端にある。Neumarktは、ローマ時代からあった市壁に面しており、聖堂は市壁の外側に建てられている。アポステルン聖堂は東西に二つの内陣をもつ、典型的なライン川流域のロマネスク聖堂で、1200年頃に再建された東内陣は、マリア・イム・カピトール聖堂をさらに発展させた三葉形の内陣をもつ。アプスの壁は、ザンクト・マリアよりもさらに高くなり、二階建ての付け柱と盲アーケイドを巡らせ、二階部分のアーケイドは一つおきに開口部を設け、内陣を明るくした。軒下には細い円柱を束ねた背の低いギャラリーを設け、南北のアプスにも連続させることで、三つのアプスが一体的になった。アプスとアプスの間を埋める方形の塔も、ほどよい大きさと高さにまとめられ、完成した三葉形内陣の形式を示している。
 この聖堂には西側にも内陣があり、交差部の上に大きな方形の塔を頂く、西正面の聖堂前広場が狭いこともあって、東側とは対照的に異様な外観を見せている。


ザンクト・アポステルン聖堂 (1021~1036年ごろ再建、1200~1220年ごろ東内陣再建)

グロス・サンクト・マルティン大聖堂 (Gross Sankt Martin, Köln) 
 最後にケルンの大聖堂にも近い、グロス・サンクト・マルティン大聖堂を取り挙げよう。ドイツ橋 Deutzer Brückeのすぐそばに建ち、ライン川沿いの船着場からも、その巨大な塔を見上げることができる。この東内陣の交差部に建てられた巨大な方形の塔は、当時のものではなく、第二次大戦後に修復されたものである。
 ケルンの旧市街地はもともとローマ時代の建物が多数発見されており、このマルティン聖堂も、ローマ時代の建物の一角に建てられたバシリカ式教会堂を基礎としている。現在残っている建物は、アポステルン聖堂とほぼ同じ頃の1150~1250年に建てられたと言われ、内陣もこの頃と考えてよいだろう。
 外から見ると外陣には、軒蛇腹やロンバルディア帯と呼ばれる小アーチの軒装飾が見られ、半円形の内陣とピアと一体となった八角形の方形の塔には、盲アーケイドが見られ、これはアポステルン聖堂と同じである。しかし、司教座の置かれたこの由緒ある大聖堂は、交差部にさらに高い方形の塔を用意した。


グロス・サンクト・マルティン大聖堂 (1150~1250年ごろ再建)

 このように、それなりに発展した三葉形平面の大聖堂は、しかしながら、ケルンとその近郊(ボンなど)でしか使用されず、以後ロマネスク聖堂の典型とはならなかった。その理由は様々に考え得るだろうが、おそらく聖堂が巨大化するにつれて、高層化の欲求が強くなり、大きな塔を配置するようになると、広すぎる三葉形の内陣は邪魔になったのではないだろうか。