2011年11月12日土曜日

大聖堂と運河の町 ウルム

2011/10/30

 6月の初め、バイエルン地方のウルムという町を尋ねました。まだひんやりする早朝に、フライブルグの中央駅から電車に乗り込むと、連休を利用して旅行に出かけるドイツ人ですでに混雑していました。ウルムまでは、ミュンヘンからは特急で一時間半の距離ですが、私の住むフライブルグからは、シュバルツバルトの森を回り込むことになります。カールスルーエまでライン川に沿って北に走り、そこからシュツットガルトへ向けて東へ走ります。シュツットガルトを抜けると、すぐに田舎の景色が見えてきました。

 緩やかに起伏する畑と、時々現れる落葉樹の林は、ちょうどパリ近郊の田舎を思わせます。車窓から見える雑木林は、初夏の陽気を浴びてまぶしいほどです。しばらく見とれていると、ウルム駅に到着のアナウンスがありました。ほぼ時を同じくして、林の上に遙かにそびえる大聖堂の尖塔が目に飛び込んできました。

 ウルムは、地理的に言えばバーデン・ウェルテンベルグ州とバイエルン州に挟まれた小さな町で、十五世紀から十六世紀にかけてドナウ川の水運で栄えました。当時の人口は一万二千人程度と言われています。ドイツでは十字軍以降、封建社会が安定し、中世都市の成立と共に市民が勢力を持ち始め、ゴシック様式での大聖堂の建設が始まりました。ゴシックの建設熱は各地に及び、司教座の置かれていない小さな教区教会でも計画されるようになります。ウルムは、そうした教区教会に建てられた大聖堂の代表例です。

 大聖堂建設には長い年月を要しました。1377年に起工し、度重なる設計者の変更、工事の中断を経て、最後に十五世紀の図面に基づいて西正面が完成したのは1890年と言いますから、実に500年近くも(!)建設活動が続いたことになります。歌人で精神科の医者であった斎藤茂吉が、ミュンヘンに留学し、ドナウ河に沿って旅をしたのが大正十三年(1924年)頃です。茂吉は、ウルムで汽車を降り、その時の子細を『ドナウ源流行』※に詳しく記しています。彼が目にした「大伽藍」は、わずか34年前に完成したばかりだったのです!ちなみに、ウルム大聖堂が完成する一年前には、パリにエッフェル塔(完成当時の高さ313m)が建てられました。エッフェル塔の方が、ウルムの大聖堂より先に完成していたことになります。


 
図1 ウルム大聖堂 西正面 高さ161mはゴシックの大聖堂で最高
 ドイツでは、アミアンを模倣したケルン大聖堂が内陣の工事だけで中断したり、ストラスブール大聖堂の西正面の双塔が一つしか作られなかったため、西正面をひとつだけの塔とする単塔形式が主流になったとされています。そのため双塔形式のフランス・ゴシック建築と比べると、ドイツ・ゴシック大聖堂の西正面は、より高さが強調され、立面としてのバランスは崩れています。大聖堂前の広場に建ち、西正面を見上げると、まるでエンパイヤー・ステートビルのような高層建築の前にいるような感覚を覚えます。ウルムの大聖堂は、高さ161mの塔を備え、ゴシック様式の大聖堂としては最高の高さを誇ります。茂吉が、塔の上から「下の方を覗くと町を歩く人馬がすでに蟻程になって見え」、「眩暈をおぼえた」のも無理はありません。春陽に輝くドナウ川を眺めながら、茂吉は、シュバルツバルトの森からドイツを東西に横切り、オーストリア、バルカン諸国を経て黒海に至る大河に思いを馳せたのでした。また、ドナウ河が国境だった東ローマ帝国と、その後の長い歴史に思いを馳せたのでした。

 大聖堂の内部は、高さを求めすぎたためか、やや間が抜けた印象を受けます。おそらくアーケイドと高窓の間が壁になって、何の装飾もないところが、そのような印象にさせるのかもしれません。ウルムより後に建てられた、ウィーンの大聖堂のような広間式と違って、高窓から十分な採光ができるので、内部は比較的明るい印象です。内陣はきわめて簡素な作りで、これもドイツ・ゴシック建築の特徴とされています。


図2 ウルム大聖堂 内観
 大聖堂を訪ねた後、私も川へ向かって歩いて行きました。ウルムは、ドナウ川とそれに流れ込むいくつかの支流が出会う場所です。町の外れには小さな運河があり、昔の漁師の建物が今も建っています。ちょうどアルザス地方にあるような木造の建物で、川に向かって持ち送りで壁が幾重にも突き出ているのが印象的です。茂吉が尋ねた頃は閑散としていたようですが、今はすっかり観光地化されています。元漁師の家も、ホテルに改装されたものもありました。川の近くに来て旅情を感じるのは、やはり日本人だからでしょうか。しばらくの間、飽きもせず川面を眺めていました。


図3 運河に建つ漁師の家(現在はホテル)
 最後に、ウルムの一風変わった名所として、パン文化博物館を紹介しておきます。古い建物を改装した博物館で、大聖堂のすぐそばにあります。3階建ての館内には、世界のパンの歴史が紹介されています。古代エジプトのパン、ユダヤ人のパン、19世紀に書かれた最初の『パンに関する論文』、工場で大量生産されるようになったパンの製造工程。さらにはナチ・ドイツ時代の食料制限を呼びかけるポスターに登場する「パン」(!)。パンを主食とする世界では、労働に対する対価がパン(=食料)であったことが良く分かります。最後に、人口爆発の現代世界に置いて、世界的な食料危機が迫っていることを警告して、展示は終わります。パンを通して、様々なことが見えてくる、興味深い展示でした。

※ 茂吉の『ドナウ源流行』には、当時のウルムの町が詳しく記されています。