2011年10月30日日曜日

フランス・ゴシック建築(その2)

2011/07/15
イル・ド・フランス=フランス・ゴシック建築を巡る旅

3.シャルトル、ランス、そしてアミアン大聖堂=盛期ゴシック建築
 初期ゴシック建築の基本ができあがると、13世紀初頭から、さらに高い空間、より細い柱、開放的な窓を作りたいという理想を追求してその技術は急速に発展しました。この理想は、シャルル、ランスを経由してアミアン大聖堂でほぼ頂点に達しました。
 柱間一つ分を単位とする四分ヴォールトが採用され、柱には細いリブの装飾が加わり、垂直性の強い意匠に変化したのです。さらに、経験によってヴォールト天井の荷重を受ける壁の推力をどこで支えれば効果的であるかがしだいに了解され、飛梁(フライング・バットレス)を効果的に架けることができるようになりました。これによって、パリの大聖堂で見たように、大アーケイドの柱を高くすると同時に高窓層を拡大することが可能となり、側廊二階のトリビューンを除いて三層構造になりました。この結果、これまで以上に天井を高くしても構造的に安定させることが可能となったのです。パリ大聖堂では32.5mであった天井高は、盛期ゴシックのシャルトルでは35m、ランスでは37.5m、アミアンでは43.2mと、急速に高くなりました。
 高窓は、当初は石をくりぬいて開口部としていましたが、やがて石の骨組み(トレサリー)に変化して行き、その間にはすべてステンドグラスがはめ込まれました。中世からのステンドグラスは、シャルトルを除いてほとんど残っていませんが、当時のステンドグラスは現在のものよりも分厚く、色彩も濃厚で、より神秘的でした。

●シャルトル大聖堂
この大聖堂は、古代末期の聖母像で有名で、当時から多くの巡礼者を集めていました。身廊はトリビューンをなくして高窓層を大きくし、窓を壁面一杯に広げています。この聖堂には彫刻が極端に少なく、かわりに12世紀から13世紀のステンドグラスはほぼ完全に残っていて、中世の雰囲気をよく伝えています。古いステンドグラスは透過する光線の量が少なく、そのため付け柱、アーチ、リブには、凹凸の強いプロフィールをつけて、陰影を強調させたほどです。ステンドグラスは、特に青い色が美しく(シャルトル・ブルー)、今日もゴシック美術ファンを魅了しています。
西正面はロマネスクの影響を残していて、(直径13mの薔薇窓を除けば)きわめて簡素な作りです。これに対し、後に付け加えられた南北面には、ちょうどラン大聖堂西正面にあるような三つポーチがつけられ、きわめて発達しています。ポーチ同士の間も通路で抜けられるようになっています。ポーチは控壁をくりぬいて作っており、構造的に無理が生じて19世紀末に鋼梁で補強されました。このことは、構造的にやや無理をしてでも、軽快に見せようとした当時の傾向を伺わせます。
図7 シャルトル大聖堂 ステンドグラス
図8 シャルトル大聖堂内観 トリビューンがなくなり、高窓層が大きくなった
●ランス大聖堂
この大聖堂は、ゴシックの女王と称される盛期ゴシック建築の代表的作品です。ロマネスクの大聖堂が炎上したため、1211年から建設が始まりました。外陣は3廊式ですが、内陣は5廊式と大きくなっています。
西正面は、パリ大聖堂の水平・垂直区分の手法とラン大聖堂の彫塑的な構成を組み合わせ、完成した盛期ゴシックのファサードを形作っています。シャルトルとは対照的に、二千体の彫刻を外壁にめぐらしていることも、大きな特徴です。


図9 ランス大聖堂南面 控壁と巨大な彫刻で埋め尽くされている

●アミアン大聖堂
 盛期ゴシック建築の中でも最も大きな教会堂で、全長145m、身廊の幅14.6m、天井高さ約42m、大アーケイドの高さは20mにも及びます。側廊を二重として外陣を5廊式とし、大聖堂を大きくしています。また、内陣のアプスを放射状に7つに分割し、周歩廊を隔てて小祭室を7室配置する方法は、効率のよい空間の分割方法であり、その後各地で模倣されました。
 パリ大聖堂と同じく、ヴィオレ・ル・デュクの修理を受けたため、西正面の薔薇窓の上のギャラリーなどが変更されましたが、全体として盛期ゴシックの特徴をよく残しています。


図10 アミアン大聖堂内部 高さ20mにもおよぶ大アーケイドに落ちる高窓の光は、深い森の中にいるような印象を与える


図10 アミアン大聖堂 身廊天井見上げ 四分ヴォールトの横に壁一杯に広がった高窓が見える