2011年10月30日日曜日

フライブルグの旧市街

2011/05/14

フライブルグの建築
 フライブルグの町は、ドイツの多くの町と同じく、第二次大戦によって旧市街地の大半を消失しました。戦後の復興時には、多くの歴史的建造物が再建されました。その際、旧市街地には原則として新しい建物を建てないことが守られたのです。おかげで、現在も古い中世の町の雰囲気を色濃く残しています。日本も第二次大戦によって町を消失しましたが、ドイツの町とは全く異なる復興をしたと言えるでしょう。フライブルグは、戦後の経済復興と共に発展を遂げ、現在では環境都市として世界中に知られるまでになりました。ここでは、フライブルグに残る古い建物と、環境都市としての先進的な取り組みの事例を見てみます。
図 1 フライブルグ大聖堂正面

大聖堂
 フライブルグで最も古い建物は、もちろん大聖堂(ミュンスター)です。建設に何百年とかかる大聖堂の歴史は、そのまま町の歴史を示しています。ガイドブックによれば、1200年にロマネスク様式として建設が始まり、1230年頃からゴシック様式に変更され、幾度かの中断を経て、1330年に完成したようです。1330年の完成は、ゴシック様式の大聖堂の建設には、通常何百年とかかるため、ドイツではかなり早い時期に建設が終了したと言われています。
 西正面に一つだけ高い棟を配置し、トリビューンがあまり発達していないところに、ドイツ・ゴシックの建築的特徴が現れています。また、ライン川付近で採掘される赤褐色の砂岩が用いられ、その独特の色合いが、他の大聖堂と違った雰囲気を作り出しています。同様に、ライン川で採れる赤褐色の砂岩で出来た大聖堂として、バーゼルの大聖堂が挙げられます。バーゼルの大聖堂は、フライブルグ大聖堂の建設よりも15年早く建設が始まったことから、建築家や石工はバーゼルでも仕事をした人ではないかと考えられています。ちなみにバーゼルの大聖堂では、西正面に二つの塔を配置し、開口部が少なく、より閉鎖的な点がロマネスク様式のデザインを引き継いでいると言えるかもしれません。フライブルグの大聖堂も、南側側面に、ロマネスク様式の部分とゴシック様式の部分とが併存し、両方の様式を観察することが出来ます。
図 2 フライブルグ大聖堂南側面

 鐘楼までの高さは116mあり、棟の先端にあるスケルトン構造は、フライブルグで始めて用いられたデザインであったため、多くの大聖堂が追随して、よく似た鐘楼を建てました。残念ながら、2011年現在は修復中で見ることが出来ませんでしたが、代わりに修復現場を見学できるようになっています。棟の内部は石造ではなく、基本的には巨大な木造構造でした。

大聖堂広場
 大聖堂の周囲は広場になっていて、古くから食料品や商取引の場所として使われていました。そのため、商取引の監督局もおかれ、特別に建物が造られたほどです。この商取引の建物(ヒストリッシェン・カウフハウス)は、第二次大戦中に幸運にも戦火を免れた数少ない建物の一つです。赤い外壁が遠くから目を引きます。広場に向かってファサード一階部分にアーケードを設け、左右の端部に小さな棟を備えています。二階の柱には、ハプスブルグ家の一族の彫刻と旗が並んでいます。
 また、パンやワインなど日常的な食料品が取引されていました。特にパンは生活必需品であったため、不正な売買を規制すべく、大聖堂正面入口にパンの線画が描かれ、いわば標準尺として使用されていました。
 大聖堂広場は、現在も日曜と祭日を除いて毎日市場が開かれています。フライブルグのあるドイツ南西部は、国内で最も温暖で湿潤な気候であり、農産物や畜産物が豊富です。そのため、近郊の農村部から毎日のように新鮮な食料品が運ばれてきます。春先には白アスパラガス、初夏にはサクランボが豊富に出回ります。


図 3 大聖堂広場に建つ商取引所(Historischen Kaufhaus)

市庁舎広場(ラートハウス・プラーツ)
 旧市庁舎(アルト・ラートハウス)および新市庁舎(ノイ・ラートハウス)も、ともに空襲に遭い、現在の姿は古写真を元に修復したものです。旧市庁舎は、ドイツ・ルネッサンスと呼ばれる様式だそうで、イタリアでルネッサンスが起きてから、多くの建築家がイタリアで学び、建てたものの一つということです。正面ファサードだけでなく、内装も当時のままに復元し、現在はツーリスト・インフォメーションとして、観光客を受け入れています。
 市庁舎の前は小さな広場(ラートハウス・プラーツ)になっていて、カフェや商店がならんでいます。友好都市記念行事や、クリスマス市など、公の行事があるときには、小さなテントが並んで賑わいを見せる場所です。先日は、友好都市の記念行事が開かれ、フライブルグの姉妹都市の一つである、日本の松山からの出品がありました。

図 4 旧市庁舎 ファサードは戦後に修復された

図 5 町中の至る所を流れる水路(ベッフレ)

小さなプロムナード(ベッフレ)
 フライブルグの旧市街地には、小さな水路(ベッフレ)がくまなく走っています。これは、中世の都市図に、生活用水としてドライザム川から水を引いた様子が描かれていたのをヒントに、戦後になって新たに作られたものです。よく見ると、町の至る所を走っており、水路を追っかけるだけでも、楽しい散策が出来ます。この水路は、あくまで街の装飾のためで、生活に使われることはありませんが、シュバルツバルトの森の豊かさを連想させてくれる楽しい装置です。水量は常時コントロールされているため、雨が降ってもあふれることはありません。ガイドの話では、この水路にうっかり落ちた若者は、その年にフライブルグで結婚する運命にあるとか。

環境都市としての取り組み
 さて、最後に環境都市としての取り組みを簡単に紹介しましょう。環境都市としてのフライブルグの取り組みは、決して最近の話ではありません。1960年代にシュバルツバルトの森が酸性雨で被害を受けてから、一貫して環境都市としての町作りに取り組んできたのです。環境都市としての取り組みは、大きく分けて公共交通の整備と、エコ・エネルギーの導入の二つに分けることが出来るでしょう。
 まず、公共交通の整備は、旧市街地への自家用車の乗り入れを厳しく規制することで、中心部の渋滞と排気ガスによる公害を減らすことを目指しています。車の規制をする代わりに、トラム(ストラッセンバーン)を計画的に導入し、市内を隈無くカバーしています。市民は、レッギオ・カルタとよばれる定期券を購入すると、市内のトラムやバスだけでなく、フライブルグの経済圏である周囲約35kmの農村まで、電車やバスを無料で利用できるという特典があります。そうすることで、都市部と農村部の人の動きを確保し、経済的に不利益を生じないようにしています。トラムの路線の建設は、市電だけの個別の予算ではなく、道路整備の予算としてカバーされている点も見逃せないでしょう。
 また、自転車での通勤・通学を奨励しており、ほぼ全ての道路に自転車道路が整備されています。そのため日本のように歩行者と自転車とで事故が起こることも少なく、自転車の後ろに大型のベビーカーを増設して、町中を走り抜ける女性をよく見かけます。


図 6 環境掲示板:オゾンなどの大気汚染の程度が常時表示されている

エコ・エネルギーの取り組み
 エコ・エネルギーの導入は、福島の原発事故が起きた日本にとって、現在切実な課題といえるでしょう。同様に原発をもつドイツでは、学生を中心に根強く反原発の動きがありました。3月の地方選挙の結果を受けて、メリケル首相ひきいるキリスト教民主同盟は原発全敗に舵を切ったことは周知の通りです。それは何も日本で原発事故が起きたからだけではありません。遡れば、60年代の公害問題、そしてチェルノブイリの原発事故が、忘れ得ない記憶として市民に共有されているのです。
 先日、ドイツの大学院生と話をする機会がありましたが、彼はこの反原発の動きが、ドイツ国内だけでなくヨーロッパ全体に広まることで、ドイツがエコ・エネルギーのリーダーシップを担って欲しいと願っていました。市民の意識が政策に反映されているのです。つい先日、菅首相はG8の席上で最高水準の原子力安全を目指すとして、原発推進を基本的にやめない方針を示しました。しかし、果たしてこれが福島県民に受け入れられる話かどうか、かなり疑問と言わざるを得ません。先のドイツ人学生は、日本は高度に近代化された国でありながら、なぜ原発推進者が調査の対象とされ、社会的責任を追及されないのか、理解に苦しむと話していました。その後、多くの研究者や学生と議論しましたが、この点はみな共通した感想のようでした。
 フライブルグでよく目にする太陽光パネル発電装置は、日本では考えられないほど普及しています。ドイツの電力会社が本格的に民営化されているため、かなり小さな電力会社が参入しています。家庭や小さなオフィスで生産された電力の内、余分に生産された電力を、電力会社が買い取ることもできるのです。ドイツでは、基本的に電力会社を買い手が選ぶことができるため、電力がたくさんあまれば、その分電力を高く売ることが出来るのです。無論、このやり方にはライフラインである電力を市場原理に任せてしまうという危険性がありますが、競争のない日本の電力市場は、逆に柔軟なビジネスチャンスをつぶしていると言えるでしょう。
 フライブルグ南部には、エコロジーを先進的に導入したエコ・タウンがあります。トラムの終着駅の近くには、自転車通勤・通学者のための高層自転車置場があり、その屋上はすべてソーラーパネルという作りです。エコ・タウンには、このような実験的な仕組みが数多く導入されているため、学生に人気が高く、最も空き物件が見つけにくい地区になっています。


図 7 巨大な自転車置き場(屋上には太陽光パネルが並ぶ)