2011年10月30日日曜日

バーゼル




2011/04/28

バーゼルの町
 復活祭の休みを利用して、バーゼルを訪問しました。バーゼルは、フライブルグからライン川に沿って50kmほど上流にある、スイスの町です。人口は20万人ほどで、同じライン川沿いのストラスブールやフライブルグと同じぐらいの大きさですが、スイスではチューリッヒ、ジュネーブに次ぐ、主都市(Hauptstadt)です。ドイツ、スイス、フランスの国境に面するため、ドイツからは国境を越えて行くことになりますが、国際化が進んだ現在は、入国審査は省略されているようです。長い間、ライン川の北側がドイツ領、南側がスイス領であっため、現在でも中央駅が2つあります。今回は、ドイツ領の中央駅から入りました。

バーゼル大学
 ドイツの古い町には大学があるのと同じく、バーゼルにも古い大学があります。1459年の創立以来、500年を越える歴史を持つバーゼル大学は、多くの著名な研究者を輩出しました。古くはエラスムスが滞在し、18世紀にはオイラーの定理で知られる数学・物理学者のレオンハルト・オイラー、19世紀には日本でも有名なフリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェが教鞭を執りました。最近では、哲学者のカール・ヤスパース、神学者のカール・バルトが教えたことは、記憶に新しいところです。バーゼルは古くから出版業も盛んで、1536年にはジャン・カルバンの『キリスト教綱要』の初版がラテン語で出版されました。
 大学のキャンパスは、町の中心部に点在しています。キャンパスのある町の中心部には、トラムやバスが縦横無尽に走っています。学部ごとに建物は別々になっていて、どの建物が大学の建物か、注意してみないと分からないほどです。日本のように近代になって新たに整備した大学キャンパスとは、全く対照的です。

ライン川を挟んで、スイス側の旧市街地を望む

バーゼルの美術館・博物館
 バーゼルは、芸術や文化の理解が深く、小さいものも含めると30を越える博物館や美術館があります。最も大きい市民博物館(Kunstmuseum)は、中世の宗教美術(マルティン・ルターの肖像画!)から、モネやルノワールなど印象派の時代の絵画を経て、キュビズムやシュールレアリズムなどの近代絵画や、20世紀の現代彫刻まで揃っており、古代を除けば西洋美術を一通り学ぶことができます。また、市民美術館の向かいにある古代博物館(Antikenmuseum)は、古代研究者にとって見逃せない存在です。ギリシア・ローマの彫刻のコレクションと、南イタリアで発掘されたクラシック期の陶器のコレクションがあります。さらに見逃せないのは、彫刻博物館(Skulputrhalle)でしょう。ここには、アテネのパルテノン神殿から各国に運び出されたフリーズの浮彫装飾のコピーがすべて揃っています。そのため、美術史研究者には、密かに知られた博物館です。前年ながら、今回は閉館中で見学できませんでした。
他にも、動く彫刻(キネティック・アート)で有名なティンゲリーの作品を集めた、ティンゲリー美術館(Museum Tinguely)も見逃せません。ライン川沿いに建てられたティンゲリー美術館は、旧市街地から少し離れていて、落ち着いて魅力的な博物館です。博物館の隣の庭に作られた小さな池には、水の中で動くティンゲリーの代表作を見ることができます。美術館だけでなく、『噴水の劇場』で知られるシリーズが、バーゼルの街中にも置かれ、市民の目を楽しませています。パリを拠点に活躍したため、私が訪れたときにも、さすがにフランスからの観光客を多く見かけました。同じキネティック・アーティストのアレクサンダー・カルダーの作品も、市民美術館で見ることができます。キネティック・アート・ファンにとって、バーゼルは必見の場所でしょう。

ティンゲリー美術館と動く彫刻、マリオ・ポッタ設計 1996年

死の舞踏
教会堂を改装した歴史博物館では、バーゼルの歴史を学ぶことができます。ここには、バーゼルの歴史にまつわる様々な遺物が保管されていますが、その中でもユニークなのは、死の舞踏(Todendanz)の壁画でしょう。死の舞踏は、おそらくペスト流行が契機と考えられていますが、はっきりしたことは分かっていません。この壁画は、バーゼル市内のフランチェスコ派の教会の壁に描かれていました。骸骨の姿をした「死」が、ヴァイオリンや太鼓を手に踊り出し、王、王女、聖職者、学者、農夫と、様々な人物が、死の舞踏に誘われるというものです。興味深いのは、骸骨が、対になって踊る人間自身の死者として描かれていることです。それは、どのような階級の人間も、死の前では皆が平等であることを暗示しています。この壁画は、生きた人間の部分を除いて打ち壊されたため、残念ながら完全な骸骨の絵は残っていません。しかし、残った絵の一部は、コレクターによって奇跡的に保存されたのです。

バーゼル歴史博物館所蔵、復元された壁画『死の舞踏』の一部

バーゼルの現代建築
 バーゼルには古い建物だけでなく、新しい現代建築があることでも知られています。世界的建築家のヘルツォーク・アンド・ド・ムーロン(二人組)はバーゼルの出身で、現在もバーゼルに事務所を構えています。一般には、北京オリンピックの鳥の巣のようなメイン・スタジアムを設計した人物として有名でしょうか。バーゼルは地元であるため、多くの作品が残っています。工場を大胆にリフォームして現代美術館として再生した、ロンドンのテート・モダンは、彼らの代表作としてあまりにも有名ですが、世界的デビューの前には、バーゼルで多くの建物を設計しました。その中でも彼らの特徴である、ありきたりの建築材料を用いながら、全く異なる素材として見せるテクニックが最初に現れたのは、州立病院ロセッティ医薬研究所でしょう。大胆に大きな開口部と、緑色のガラスのような外観が目を引く建物です。バーセル旧市街地に建っています。この他にも、初期の代表作であるバーゼル中央駅のシグナルボックスや、まだ無名時代の集合住宅などが挙げられます。
 このように、ライン川上流にあって南北の交通の拠点であったバーゼルは、古くから宗教や文化の交流点として発展してきました。古い歴史的建物と新しい建築物が混じり合い、文化的包容力の深さを感じた旅でした。
旧市街地に立つロセッティ医薬研究所 ヘルツォーク・アンド・ド・ムーロン設計 1997年